2021年7月5日公開
このごろは、遺言書やエンディングノートというものが、それなりに、流行しているように思う。
財産や事業を誰に引き継いでもらうかを、決めなければならず悩んでいる人が多いと思う。
また、自分が亡くなるまでの間に、是非にしておきたいことのリストを作っている人もいる。
自分が亡くなる時に後悔しないように、決めるべきことを決め、やりたいことを全部しておきたいという考えに私は賛同もする。
現代社会においては、個人の財産や事業をどのように処分または承継してもらうかは、個人の自由であるし、やりたいことを目一杯するというのも、当然に個人の自由である。
温泉旅行をしたり、世界旅行をしたり、車を買ったり、家をリフォームしたり、社交ダンスをしたり、楽しいことは沢山ある。それでもし、死ぬまでに、するべきことやしたいことの全てが終わらなければ、やり残したことへの心残りが生じるのであろうか。
あるおばあさん
寺の檀家さんに美代さんというおばあさんがいた。
このおばあさんは、八十八歳の時夫を亡くし、本人はその三年後に、九十歳で大往生を遂げた。
おばあさんは、気が向けば朝とも昼とも夕ともなく旧村の中を散歩した。
道端の石の上に腰を掛けて休み、誰か話し相手にふさわしい人が通りかかるのを待っていた。私はよく道で話しかけられてつかまった。
「ぼんちゃん、元気か?わしは足が痛くて、長いこと歩かれへんねん。」と言って声を掛けて来た。
秋には自分の植えた木で採ったみかんを、スーパーのレジ袋に入れてくれた。
夏には栄養ドリンクを、「ぼんちゃん、持って行きよ。」と言って2本をそのままくれた。
衣のたもとに2本を入れると重すぎた。
ゆるやかな晩年
おばあさんは年を取ってからおおらかで、いつもにこにこしていた。
そしてよく、「おじいさんにはお迎えが来たけれど、わしにはまだ来うへんねん。」と冗談半分に言っていた。
そうは言いながらも、もしかしたら、本当に毎日お迎えを待っていたかも知れなかった。
九十歳を過ぎた頃、「もう十分に生きたから、みんなさん本当にありがとう。もういつお迎えが来てもいいねん。後の事は子供らが好きにしてくれたらいいねん。」と言っていた。
このおばあさんが、若い頃をどの様に過ごして来たかは、私は知らない。
晩年のおばあさんは、毎日とくにすることはなかった。
いつの頃からか、人生の煩わしいことが過ぎ去り、決めておかなければならない数々の事からも興味が去り、悩ましいこともなく、ただ穏やかさと、周囲への感謝と、後代への信頼と、安心につつまれて、迎えが来るまでの日々を過ごしていたのだと思う。
おばあさんは、全ての人生は時の流れの中に過ぎ去るものであり、自らの人生もまたその中に過ぎ去るものであることを、ゆるやかな晩年のこだわりのない日々の中に感じていたのかも知れなかった。
おばあさんが亡くなった時、おばあさんの心は、自然のそれそのものだったのかも知れない。