第八話 後半 めがねのおばちゃん

2021年7月5日公開

めがねのおばちゃん

最近は、個人情報保護の影響からか、面識のある人でも家の事情を聞けなくなった。
新しい住宅地の会合に出ても、出席者の名前くらいしか分からない。都市部の、特に学生や社会人の独身者向けのマンションでは、住んでいる数年の間、隣に誰が住んでいるのか分からないまま、引越しをする事もあるだろう。
学校関係の連絡網に住所や電話番号の記載をしない人もあるだろう。
他人の事は知らないし、干渉もしない。
そういうことを良しとする時代だろうと思う。

子どもを叱るおばあちゃん

私が子供の頃、めがねのおばちゃんと呼ばれ、子供たちから恐れられた初老のおばあさんがいた。おばあさんは一人暮らしで、旧村内で子供を見付けては、理由を問わず、「こらっ」と言って叱り付けた。その発声には独特の長さがあって、子供たちには「こおおりゃ」と聞こえた。
子供たちは、このおばあさんを見ると、いつも一目散に逃げて、自転車に乗った背中に「こおおりゃ」と聞いた。
買い食いをしたと言って叱られ、犬を棒で突いたと言って叱られ、駄菓子屋で自転車の置き方が悪いと言って叱られ、最後は、この間逃げた、と言って叱られた。

ある初夏に、子供数人で、池の分水の所にあるフェンスの破れた穴から、池の中側に入って、魚をさお付きの網2本で挟みうちで取ろうとしていた。
池の南端にこの辺りではめずらしい魚がいるといううわさが、子供たちの間で流れたからだ。深い水の底に群がっていた小形の魚は、いつも釣るふなではなく、日光を受ける角度によって、体がにぶい赤紫色にチカチカ煌めいた。
それは図鑑で見た大陸ばらたなごだろうと思われた。
私は、この初めて見る綺麗な魚を捕えて、自分の水槽に入れて眺めてみたい欲望にかられた。

その時、突然に、フェンスの外から、「こおおりゃ」と聞こえた。子供たちはあわてふためき、逃げようとし、フェンスの破れにシャツを引っ掛けてそのシャツが伸びた者も、腕にかすり傷を負って血がにじんだ者もいた。
私は自転車に飛び乗り、逃げ際に、おばあさんの足では追い付けない距離をとって、「うるさいばばあ、めがねのばばあ」とリズムをつけてはやし立てた。
しかし、いつもは他の子供をからかう時に唱和してくる者たちも、この時は、なぜか私に唱和しなかった。
私は、背中におばあさんのどなり声を聞いた。

おばあちゃんの優しい目

子供たちは、しばらくしてまた戻って来て、フェンスの破れ穴から池側に入って、コンクリートの上から再び魚を追いかけた。
その時の一年下の友達が言った事を、今でも覚えている。

「あのおばちゃんかわいそうやねん。あのおばちゃん一人で住んでんねん。お父さんも子供も誰もおらへんねん。一人ぼっちやねん。本当は子供が好きやねん。せやからあのおばちゃんにあんなこと言うたらあかんねん。」

一年下の友達は、そのおばあさんのかわいそうな状況を親からそれとなく聞いていたのだろうと思う。
そして私に同調しなかった他の子供たちも、おばあさんの悲しい身の上に付いて、大人たちが話すのを聞いていたのだろうと思う。
旧村の大人たちは皆、そのおばあさんの事情を全て知った上で、一人の生活の寂しさを分かった上で、孤独な行く末を気の毒に思った上で、このおばあさんの子供たちへの振舞いに付いて、あえて何も言わなかったのだろうと思う。

そのおばあさんはもういない。
旧村のはずれにあった小さな古い家ももうない。今から思うとおばあさんは、口は悪かったが目は優しかったと思う。
子供が池に落ちるのが気が気でなかったのだろうと思う。

その後、長い年月が経って、身寄りのないおばあさんの後は、誰かが何も言わずに、そっと片付けた。

 

追記(令和3年5月16日)

もう30年も40年も前の話だけれど、それでもおばあさんは一部の子供たちから大変人気があった。
子供たちの中には、おばあさんの家に上がり込んで、机で一緒におかしを食べて、世間話をしていた者たちもいた。でも、このおばあさんは誰だったのだろう。