2021年7月5日公開
さて、皆さん、今の日本を取り巻く状態は非常に厳しいものがあります。
政治の混乱、日本経済、特に地方経済の低迷、教育力の低下、例を挙げればきりがありません。
皆さん、浄徳寺は奈良の片隅の唐院という旧村にあります。
唐院は東西に長く南北に短い菱形をしており、浄徳寺は、その菱形の北点に南向きに座しています。
その本堂は古く築300年を超えており、300年前の人々の思想を今に映しています。
村の中でまわる経済
今から30年前の唐院は非常に豊かな場所であったと思います。
村内には、色々な店が互いに競争しない形で営まれていました。
農家、八百屋、魚屋、子供たちが集う駄菓子屋、米屋、化粧品屋、呉服屋、布団屋、文房具屋、酒屋がお互いに過度な競争をせず、皆が皆それぞれの個人商店をしながら生計の一部を立てていました。
小学生の同級生の内、親がサラリーマンである家は数える程しかなかったと思います。
農家は兼業も多かったと思いますが、米や野菜を作っていました。
その前の時期には、娯楽施設としての劇場、パチンコ店があったと聞きます。
唐院に住む人々は皆、自分の歩ける範囲の中で全てのものを買うことができました。
足りない醤油や、玉ねぎ1個を買う使いに走るのは、いつも子供の仕事でした。
子供が使いに行くとおまけをしてくれる店も数多くありました。
つまり、30年前の唐院は、子供でも老人でも歩ける範囲の中で全てが揃う、村が全体として1つのコンビニであったと思います。
その唐院の主力の工業は、貝ボタンの製造であり、貝をくりぬいて磨き、虹色に光る美しいボタンを作り出す家内工業は村内にいくつもありました。
貝ボタンを村外に売って、いわば外貨を稼ぎ、また、兼業で農業や商店をしている者たちが、村外の町役場や企業、工場、信用金庫等で働き、これも給料という外貨を稼ぎ、食料品や生活用品の殆ど全てを村内で買いました。
だから外から稼いだ金が村内をぐるぐる回り、外から稼いだ村内を回る金は余り村外へは出ず、村内の経済力は相当に底上げされ、村の人々は当時の標準から言ってもかなり裕福であったと思います。
この辺りの基幹行である南都銀行の川西支店は唐院にあり、また川西郵便局も唐院に設置されました。
共存共栄の経済
これらの経済関係は、今の時代に言う経済、弱肉強食の大競争を勝ち抜いた者だけが多くの資源を獲得できる経済ではありませんでした。
また、より早く、より多く、より安く品物を供給した者だけが市場を広く席巻できる経済ではありませんでした。
それは互いに競争をしない形で、他人を利する事をもって、他人との和をもって尊しとなす、本質的に今とは異なる経済でした。
だから、商品の値段の高い安いに執着することもありませんでした。
意識する、しないに関わらず、仮に同じ物が100円高かったとしても、その100円はその店への貢献であり、贈与であり布施であると考えられていたと思います。
微々たるものですが、その高い差額は、その家に貢献したものと思い、貢献したことを嬉しく思う人もかなりいました。
そうやって小さな貢献の積み重ねで店を支え、店を支えるということは知り合いや友人や檀家さんを支えるということを皆理解していました。
更に、酒屋に子供が生まれたのであれば、金が掛かる事を意識した上で、旧村の大人たちは、「酒を買うたらんとあかんねん。」と笑いながら、いつもより多目に注文をしていたと思います。
魚屋さんが「こうて」と言って朝に自転車で魚を売りに回って来たら、家々の奥さんたちが入れ物を持って出て、魚が売れ残らないように買っていました。
自分が何が食べたいというのではなく、買った魚に合わせて夕食を作りました。
経済的には、日常品の購入に於いても利他的であり、助け合いであり、融通のし合いであった訳です。
これは今の時代の飽くなき利益追求を目指す経済ではありません。
むしろこの唐院は仏教経済圏であり、経済関係の本質は共栄共存であり、支え合いであり、助け合いであった訳です。
経済における利他、互譲、共栄、和の精神
もっと昔、貝ボタン工業が唐院で始められた後、広めたのは山田太郎という大柄な男でした。
現在の時代であれば、個人は、各々の経済的成功を追求し、努力し、稼ぎ、更に大競争を勝ち抜く事を目指します。
だから、現在の時代であれば、同じ物を製造する相手が出て来る事は、それが村内でも競争相手を増やす事であり、いつか自分と利益を競い合う事になる。
だからわざわざ競争相手を利したり、競争相手を造り出す事は普通はしない。しかし、山田太郎は、自らが持ち帰った貝ボタン製造の技術を村内の者に教え、売り方を教え、よって村中にたくさんの家内工業が出来ました。
唐院は全体として貝ボタン製造の村になりました。これが外貨を大きく稼ぎ、村内の経済の底上げをすることになりました。
何故、山田太郎は自分のライバルになるかも知れないものたちに、その技術の文字通り全てを教えたのか。
それは唐院が仏教経済圏であり、経済の中であっても、人のためになろう、人を助けよう、皆で幸福になろう、皆で生き抜いて行こうという利他、互譲、共栄、和の精神が根付いていたからだと思います。
私は僧侶であると同時に、経済学部出身の司法書士であるから、人々の言動が仏教に基づいているのか、経済的合理性に基づいているのか、或いは法律に基づいているのか、だいたい分かります。
人々の言動は、それを教育からといおうと、読書からといおうと、親の教えからといおうと、何かに基づいています。
簡単に言えば、様々な影響を受けて、一人の人格や人間性を形作っています。
だから、山田太郎の行動は、経済的合理性だけに基づいていなかったし、法律に基づいていなかったことが分かる。
結局、山田太郎は、その経済活動に於いて、仏教の影響を受けた者の思想を体現していました。私はそう思います。
しかし、村には神社があり、寺があり、何百年も農耕をしてきたのですから、山田太郎の思想は、その生活圏の中にある、神社、寺、農耕の影響の複合であったのかも知れません。
更に戦前生まれの男であったから、教育勅語の内17の徳目の影響もあるのかも知れません。
いずれにせよ、日本の片隅の、奈良の片隅の戦前戦後の経済発展は幾多の山田太郎の様な男がその礎を作ってきたのだと思います。
経済活動の中にも利他、互譲、共栄、和の精神が混乱期にもあった。
これが日本人の戦後のすさまじい経済復興の精神面での秘密であったのだと私は思います。
旧村消滅によって失うもの
今、唐院のように、その日常生活の中に、神社やお寺や農耕のある地域が縮小しています。
代わりにこの数十年の間、新興住宅地がたくさん出来、都市が拡大し、高層建造物が乱立し、日常生活の中に神社とお寺と農耕の影響を全く受けない文化圏が広がっています。
人は必ず何かの影響を受けます。日本の中に、やや極言をすれば、神社、お寺、農耕の影響を受けた人間たちと、それらの影響を殆んど或いは全く受けない人間たちの、二つの異文化圏が存在しています。
私は新興住宅地を嫌いだと言っているのではありません。むしろ、日本の中に於ける旧村や伝統への評価が不公正に低いと言っているのです。
一部の行政はその経済的合理性のみから、旧村の管理コスト、水道管や道路の舗装、その他のコストがかかるからと言って、コンパクトシティを造って、人々を地域の中核の商業都市の方に移そうとしています。
一部の行政は費用対効果とコンプライアンスしか分かりませんから、旧村消滅によって失うものがあるとすれば、それが何か全く理解していません。旧村消滅によって失うもの、それは何か。
それは日本人なのです。
神社、お寺、農耕によってとてつもなく長い年月を生き、それらに包まれた長い歴史と伝統と文化、その価値観に裏打ちされた農耕民族としての日本人なのです。
和を以て尊しとなしてきた平和でおおらかな日本人なのです。そのような人々が、今、失われようとしています。
何か起こったときに地域で助け合う日本人
『となりのトトロ』でメイちゃんが池に落ちたと思って、池の前で手を合わせて無事を祈っているおばあさんをご存知ですか。
さつきとメイちゃんが住む家の近くには、田んぼがあり、大きな神社があります。
お寺は出てきませんが、おばあさんはメイちゃんの無事を祈る時、片方のぞうりを持って、「南無阿弥陀仏」と言っているように見えます。
村の若い衆は総出でいなくなったメイちゃんを探しています。
何か事が起こった時、村が一つとなって動けるのです。
旧村消滅によって失うもの、それは何か。私はこのような日本人だと思うのです。
そして、全国の旧村消滅によって失うもの、それは何か。
それは数多くの仏国土と神々の国の故郷なのだと思う。
資本主義により変わっていった町並み
しかし、唐院の長い繁栄は、15年位前、2000年を過ぎたあたりに一旦終りを告げました。
まだ余力は残っています。今ならまだ唐院を貝ボタン工業やそれ以外の方法で再興ができるように思います。
今、何が起こっているのか。
数十年前唐院は貝ボタンで外貨を稼ぎ、村内の店々で消費し、その経済力はかなり豊かだったと思います。
基本的な家族構成は三世代同居で、学校、空地、秘密基地、駄菓子屋の前では子供の笑い声は溢れていました。
皆お互い様であり、子供の声が騒音だと考える人はいませんでした(勿論その声も限度を超えた場合には大人から叱られました)。
やがて、いつの頃からか、郊外に大型のショッピングセンターができ、ホームセンターができ、コンビニが出来て乱立しました。
皆さん、当然のことなのですが、店の数が2倍になっても、人1人が食べる量は2倍にならない。皆さん、店の数が2倍になっても、人1人が使う生活用品は2倍にならない。
要は不増不滅であり、プラスマイナス0であり、郊外に店の数が増えた分だけ、その陰で、旧村の店がシャッターを閉めたのです。
そして、現在郊外に乱立する店は、東京の資本のものであったり、外国の資本のものであったりします。
これらはより安く、より大量に売りさばいて利益を上げる資本主義そのものの店なのです。
共栄共存は考えず、大競争を生き抜くための店なのです。
従業員の多くは非正規雇用であり、旧村の商店主の仕事を郊外のショッピングセンターの非正規雇用に置き換えただけなのです。
現在旧村の人々も、住宅地の人々も、東京や外国の資本のショッピングセンターや店で、食料や生活用品を買っています。ほぼ全ての人々がそうしています。
その事によって、日本中の旧村、住宅地の金が、東京や外国の資本に吸い上げられています。
20年以上前、私がまだ大学生の頃、大学生の会話の中では、国はまだ国土の均衡ある発展を言っていて、東京であっても、北海道の果てであっても、ある程度平等に発展させる方向にあったと思います。
その理由は、大学生同士の会話の中では「北海道の果てを経済発展から取り残し、人々がその地から去り、その土地に愛着を失ってしまえば、仮に外国が干渉して来ても誰も何とも思わなくなる。北海道の果ての地が、外国によって削られても、誰も何とも思わなくなる。だから、どんなに東京から遠い田舎の地であっても、ある程度平等に発展させ、人々が愛着をもって暮していけるようにしなければならない。」というものでした。
それがその当時の事実に合致していたかどうかは私にはわかりません。
しかし、今は、国土の均衡ある発展ではありません。逆です。
社会貢献の経済
先程のショッピングセンターのように、東京や外国の資本によって、地域の金、田舎の金が急速に吸い上げられている状況に私には思えます。
否定はしていません。強すぎることを問題にしています。これは中央からの恩恵ではありません。
戦後生まれの我々の親の世代は、時代の流れの中で、郊外にショッピングセンターができた時、皆そこで新鮮な食料品や魚、果物や家電を買いに行くようになりました。今では当たり前の光景です。
国民所得の向上とも相まって自動車が普及したこともありました。より安くてより新鮮でより良い物を求め購入するということは消費者の行動としては合理的です。
しかし、世の中は不増不滅であり、本質的に増えも減りもしない。
物が同じであれば安い方を買うというのは、消費者としては合理的であり、その差額が自分の懐に残ります。同じものが90円と100円で売っていたら、消費者としては90円の方を買いますが、差額の10円は財布からは出て行かず自分の手元に残る。自分の利益や効用を考えた時その選択は正しい。
逆に90円で売っている店があるのに100円で売っている店で品物を買ったらどうか。自分の懐に残るはずだった10円は、店の方に移り、10円分だけ店を利する事になります。
だから郊外で90円で売っているものを旧村で100円で買っていたのなら、旧村の店、つまりそれは先祖代々の構成員を10円分利し、その家族の生活をその分だけ支える事ができたのです。
その差額の10円は相手を利するためのものであり、物が同じであれば高い方を買って、その差額は社会貢献とし、相手を利したこと自体が嬉しいという利他の心、支え合いの心の発露だと考えれば良かったのです。
しかし、現に郊外の店は増え、唐院の店は殆どなくなりました。ではどうすれば良いのか。あなたはどうしているのか。そう言われるかも知れません。
利他の心や布施の心
私は日常生活に必要なもので、旧村の友人や知り合いから調達できるものがある場合、その者たちから調達しています。
米は友人の兼業農家から買っています。
米が無くなれば友人に連絡し、60㎏を家に運んで来て貰います。30㎏あたりの価格が、もしかしたら1000円程度は高いかも知れない。
しかし、その様な事どうでも良い問題です。仮に1000円高くてもその差額は友人を助ける事になり、どの様なことも塵も積もれば山で、友人の小遣いにも、生活費の足しにも、友人の子供を育てる原資にもなっていくのだと思います。
だから、私はそのことが少し嬉しい。
まだ私には、利他の心や布施の心が残っているのです。
また、家の改造や、本堂の小さな修理が必要になった場合、小学生の時の友人の大工さんに電話を掛け、修理をしてもらっています。
もう20年以上も大工をしているのであるから、修理は早いものです。
そのような修理の適正な価格は分かりません。しかし、正直べらぼうでなければいくらでも良いのです。
必要な仕事を作り、友人にお願いし、その事で感謝される、私はそれで良いのだと思います。
だから友人から米を買い、大工仕事をお願いし、檀家さん個人経営のガソリンスタンドで給油して貰い、子供の頃から見てもらっている村の診療所で薬をもらいます。
個人経営の料理屋で食べ、個人経営のバーで酒を飲みます。そして、逆にそれらの人々から私のできる何かがあれば、逆に仕事として私に返って来ます。
そうやって仕事を通して人間関係を強くしています。
これは、根底に利他や布施の心を有する仏教的な経済関係です。郊外で増えている量販店の1円でも安く売り1個でも多く売り従業員の給料は最低賃金法に定める最低ラインに抑え、企業の利益を最大化するという経済原理と真逆の性質を有する経済関係です。
このような規模と利益を追求する郊外型の店舗は増えています。日本国中の地方はそのような状況にあります。
このような本物の資本主義原理の浸食から、利他・互譲の経済関係を、意識して守らなければならない時に、今、日本国中の旧村は、差し掛かっているのではないでしょうか。私の行動の社会貢献度は微々たるものかも知れません。
しかし、皆の力を合わせれば、塵も積もれば山となるのだと思います。
今からでも根底に利他心をもった人々がそれぞれに仕事を融通し合えば、まだまだ重層的な仏教経済圏は再興できると思うのです。
相手に完璧さを求めない
では、個人の農家から米を買い、個人の大工さんに修理をしてもらい、個人のガソリンスタンドで車検をしてもらったとして、「品質や技術は信用できるのか。」「仕事は完璧にできるのか。」との疑問を呈する人々がおられると思います。
私は司法書士の仕事を兼業しており、たまに他の寺の伝法に大衆として呼んでもらうと、数のない特別な法要では細かい動き方が身に付いておらず、右往左往することがありました。
読経したり鐘を打ったりするのはいいのですが、塔婆の動かし方や全体の中での立ち位置、節操箱を持って行くタイミング等が分からないことがありました。
沢山の行人さんたちが見ている中で、焦ることがありました。
法要の合間に奥方で休憩している時に、近隣の住職さんが声を掛けてくれ、「あんた、司法書士しているらしいな。仕事忙しいやろ。大変な仕事兼業してるなあ。」と言って褒めてくれました。
私は、「いやいや、司法書士の仕事はいいんやけど、法要中の細かい動き方が分からず困った。」と言いました。
するとその住職は寺の仕事のことを「こんなん誰でもできる。一生懸命やりさえすれば、その内誰でもできる。司法書士はそうにはいかん。」と言われました。
私は寺の僧侶も手伝っているので、他の寺の住職たちと色々話す機会は後にも先にもあるのですが、同じ宗派の寺の仕事について、最低限度のできなければならないことは、真面目にやりさえすれば「誰でもできる。」「誰でもできるようになる。」「特別な能力はいらん。」などと言うのを何度も聞きました。
「誰でもできる。」「一生懸命やりさえすれば誰でもできる。」。お経を覚えるのも、鐘の打ち方を覚えるのも、最低限度必要なものは、確かに誰でもできる。
ここなんです。この点なんです。寺の仕事だけでなく仕事というものは真面目にやりさえすれば最低限度は「誰でもできる」レベルのものじゃないといけないんです。
この宗派の寺は長い歴史の中でその点を分かっていたのです。
もし仕事が超人的な能力を持つ者が、超人的な努力をして初めて達成できる水準を要求するのであれば、その様な仕事をこなせる人間は100人に1人も出ない。
司法書士の試験の合格率は2.8%であって97.2%が落ちる。私はたまたま合格したのですが、その勉強量は尋常なものではなかったし、子、孫が同じ試験に三代連続で合格してくることは殆ど確率としてはないのだと思う。
寺も神主も家内工業も商店も、それが経済的に不効率などと言われようが、その仕事のレベルを誰でもできるレベルで良しとしなければ代など重ねて継ぐことなどできないのです。絶えてしまうのです。
だから求められる仕事のレベルは、能力があってもなくても真面目にやりさえすれば誰でもできるレベルでなければいけないんです。中庸が一番なんです。
今の時代、仕事の量質ともに要求レベルが異常です。そのレベルに普通の人は対応できない。
だから友人から買う米も友人の大工仕事も車の修理も、頑張っている人間のする仕事なら、そこそこでそれで良いのです。
自分ができないような完璧さを相手に求めてはいけません。
寺と檀家さんの支え合い
住職の皆さん、今、これを読んで下さっている住職の皆さん。皆さんに少しお聞きします。
経済の本質は利他であり、持ちつ持たれつなんです。
皆さんに問います。今、村の寺の檀家さんの店は殆ど廃業し、人々は仕事を求めて外に出て行っています。
今、お寺は檀家さんの減少と相まって、次の10年20年は寺を守ることについて非常に厳しい時代を迎えることになるのかも知れません。だからそれでも檀家さんに支えてもらわなければなりません。
住職の皆さん、今から何十年も前、郊外に大型量販店ができ、やがてコンビニが乱立し始めた際、皆さんは檀家さんの店を支えるため一体どれだけの貢献をしましたか。
郊外の量販店で買うのを控え、檀家さんの家業を支えると思ってあえて旧村の店で買うことをどれだけしましたか。
一軒の店が廃業するというのは、それがどれ程に小さなものであっても大変なことです。
皆が郊外で買い始めた頃、その檀家さんは「もう店あかんわ、誰も買いに来てくれへん。」と思っていたのかもしれません。
まず檀家さんの店が芳しくなくなって、次が継げず次々に廃業し、今その余波がお寺に来ているのだと思います。
良いものを安くではなく、檀家さんを支えると思って、檀家さんとの経済関係を頑なに維持し続けたお寺さんがどれ位ありますか。
だとしたら今旧村の檀家さんが経済的に寺を支えきれなくても、それは単純に時代の流れですか、それとも因果応報という側面も少しはあるのではないですか。
郊外で買い始めた時、そこにあったのは利他の心ですか。
それとも物が同じなら安い方を買って得をしたいという経済的欲望ですか。
お寺とは本来その地域のための公共事業体という側面が本来はあったのではないですか。
本堂や庫裡の建替えにしても、法要での弁当の発注にしても、檀家さんから集めた金を仕事を通じて檀家さんに返し支えるという経済的側面はあったのではないですか。
寺と檀家さんは経済関係に於いても支え合いだと思うのです。
本山も庫裡の建替えや屋根の葺き替えがあると思います。
その金は末寺から集めますが末寺は檀家さんから集めます。
末寺357カ寺から集める金は相応の額に達すると思いますが、その工事はどこの誰に発注しますか。
もしそれが東京の企業に発注するというのなら奈良や大阪の裾野から集めた金を仕事を通じて東京に献金しているのではないですか。
それよりも檀家さんの中から工事を統括できる者を選び出し、檀家さんの内から若い大工さんを顧ったのであれば、経済的には檀家さんから集めた金は檀家さんを潤すことになり、それが檀家さんから寺への感謝の感情を生じさせ、寺への帰属と利他、支え合いの心を醸成したのではないですか。
ある住職が法話で言っていたことですが、「相手にして欲しいなら、まず自分の方からするねや。」です。
そして、その位の仕事に普通の人が真面目にやっても三代できないようなレベルの高さを求めてはいけないのだと思います。最安値も求めてはいけないのだと思います。
経済とは利他心の発露のはずです。
不増不減
今、寺のみならず地方の市町村も人口減少に悩まされています。
しかし、合理化という号令のもと、多くの市町村が住民課の窓口などをパートに替え、図書館の運営をパートに替え、庁舎建替えに際しても住民の人々から集めた金で県外の大企業に発注し、東京の企業に吸い上げられているケースもかなりあります。
それでは地元が潤わない。若者に仕事と金が無い。だから大都市向けて移住し、地元には高齢者だけが残るのです。
合理化も過ぎたるは及ばざるがごとしです。不増不減。
何かが増えた時、その陰で何が減っているのか。
僧侶はそのことを見抜かなければならないと、私は思っています。