第一話 後半 会ったことのない祖父

2021年7月5日公開

会ったことのない祖父

私が昭和49年に、奈良のお寺に生まれた時、既に祖父は他界していた。だから私は、祖父に生まれてから会った事がない。
というより、意識をしたことさえ殆どなかった。
私が子供の頃は、祖母がいて、父母がいて、妹がいて弟がいて、私を含めて6人家族であった。

祖父の人柄

祖父が37歳で亡くなったのは昭和32年のことであった。それまで祖父は、奈良の田舎の小さな寺の住職と、小学校の先生をしながら暮らしていた。
その頃の写真は白黒で、祖母のアルバムの中に入れてあったのを一度か二度見せて貰ったことがあった。
やがて祖父が肺結核にかかり、入院して、結局そのまま亡くなった。
当時肺結核は重病であった。薬は慢性的に不足していて、祖父はその人柄からか職業柄からか、他の患者や子供に、自分の分もやって欲しいと言って、自分が薬を飲むのを後回しにした。結局、それで祖父は亡くなった。そのように私は祖母に聞いた。

とに角、私は生まれて40年の間、祖父の存在を意識しないでいた。それが平成27年の冬に祖母が92才で他界した際に、郵便貯金を解約するのに祖母の戸籍を取ってみた。そして、古い戸籍の中に筆頭者として記載された祖父の名前を初めて見た瞬間に、私ははげしい懐かしさがこみ上げてくるのを感じた。
会った事もしゃべった事もない祖父の生々しい優しい存在感が確かにあった。祖父がいたからこそ、私が今ここに居るんだな、というつながりの感覚が確かにあった。

誇りは心のより所

祖父の死はもう50年以上も前の事である。私が生まれるずっと前の事である。
祖父の存在が、その死から半世紀の時間を超えて、私の中にはげしく懐かしい存在としてよみがえったのだ。
会ったこともないけれど。私にも、生きて、死んで、それから50年経って、私の事をなお懐かしいと思う誰か遠い子孫が、いるかも知れないということだ。生き様死に様は、人それぞれであるが、それでも子孫の誰かがほんの少しでも誇りに思うようなものでなければならないと思う。
残った者や遠い見る事のない子孫さえ、その生き様や死に様を誇りとし、心のより所とし、50年後100年後の世界を生きて行くんだろうということだ。
いや、それを心のより所とできるからこそ、生きていけるのかも知れない。

未来に繋がっている自分

当時の寺の住職や学校の先生は信頼があったのか、今でも檀家さんで、祖父に習ったという人は少なからずいる。
病の床についた祖父が心配で、親にだまって見舞いに行って、そのことが後で見つかり、親にしかられたという檀家さんもいる。
生き様や死に様が誰かの共感に値するのであれば、早死にしても、なお会うことのない遠い子孫の今に、優しく、力強い影響を及ぼすのだという事を、今の我々の存在が、50年後100年後の日本の誰かの、生き様死に様につながっているのだということを、私は知った。