第三話 後半 常寂光土

2021年7月5日公開

常寂光土

私が二十代の半ば、会社を辞めて勉強をし直そうと考えたのは、入社した名門企業の優秀な同期に、かなりの劣等感を抱いたためであったと思う。
「私はこんなものではない。私は全くこんなものではない。だから一から勉強し直して、知識で身を立て、実務能力を身に付け、自分自身をやり直さなければならない。」そう思った。
それはこれまでにしたことがない本当に強い決意であったと思う。

終わりの見えない苦しさ

司法書士試験の勉強は、私にとって、困難を極めた。憲法や民法をはじめ、不動産登記法や供託法に至る迄、暗記すべき量の膨大さは、私にとって人間の記憶量の限界を超えるように感じられた。
暗記しては忘れ、暗記しては忘れ、再度挑戦してはくじけ、挑戦してはくじけを二年半続けた。
朝から夜まで暗記し、犬の散歩の途中でも暗記し、気分転換に行った町民プールのサウナの中で暗記し、寝る前に布団の中で、カードに書き出した条文や判例を暗記した。
覚えても覚えても終わらない量に、脳は能力を相当に更新し、見たページを頭の中でそのまま写真のように写し出すようになった。いつしか右手の中指に出来た大きなペンだこは、何度も腫れては潰れ、ペンを持つと激痛がした。それでも毎日毎日終着点というものが見えなかった。やり直そうとした自分の人生の先に明かりなど見えなかった。忍耐も気力も脳も、限界を超えていった。
これだけの量を暗記したら受かるという保証など、全くなかった。
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、また春が来て、寺の庫裡の二階の勉強部屋から見える風景が何度移り変わっても、この筆舌に尽くし難い努力の終りなど見えなかった。
模擬試験の点数に一喜一憂する事に、大変な苦しさを味わった。
私には、その時、それを突破する事以外に、何の選択肢も残されてはいなかった。
受験勉強の最後の方には、夜の寝つきが悪くなり、コップ一杯の日本酒を一気に流し込んで、気を失うように眠った。

限界を超えた試験

試験は毎年7月の初旬に行われた。三回目の試験は奈良ではなく、北海道の試験会場が母校だった事もあり、私はそこを試験地に選んだ。
飛行機が前日に悪天候で飛ばないといけないので、私は、数日前から札幌に入り、ビジネスホテルを転々としながら、最後の勉強を続けた。前日のホテルは円山公園の近くだった。私は体調を整えるため、早めに夕食を取り、帰ってベッドにもぐり込んだ。
しかし、十時になっても、十一時になっても、一向に眠気は訪れなかった。私は相当に焦った。
十一時半頃、コンビニに行って日本酒を二本買い、一気に飲んだ。一時になって酒を一本買い増しても眠れなかった。
二時頃にストレスで腹痛を起こし、フロントに電話をし、胃薬を持って来てもらった。眠れない。全く眠れない。結局私は焦って眠れず、朝方には不眠で半分病人のようになり、ほとんど徹夜で試験会場に行った。

試験は午前2時間、午後3時間であった。
午前の試験が憲法から開始されたが、前夜の酒でのどがカラカラに乾き、腹痛を起こし、問題文が理解できなくなった。
これはまずい、このままでは本当にまずい、と思った。
試験開始から三十分経った時、私は手を挙げて試験官にトイレに行きたいとお願いした。
彼は私に不正がないか、トイレ迄ついて来た。私は早く用を済ませ、極度ののどの乾きを潤わさなければならなかった。
しかし飲むものがなかった。私はとっさにトイレの手洗いの蛇口の水を手ですくい、飲めるだけ飲んだ。本当に沢山飲んだ。
試験時間は刻一刻と過ぎて行った。

その後の試験の事は余り覚えていない。無我夢中で我を忘れた。
ただ午後の試験の最後の記述式で、ペンだこの痛みはとうになく、解答を書く手があらぬ方向に曲がり、ペンを右手の5本の指全部で持って書いていたのは覚えている。
大量の問題の全てを、解き終われるかどうかのギリギリの時、脳も、気力も、書く手の力も、限界をとうに超えた最後に、何とか力を出し切らせて欲しいと、一種の極限の中で何かに祈った時に脳裏に浮かんだのは、母か祖母の顔だったと思う。

限界を超えて見つけたもの

私は全てを出し切った。持てる力の全てを出し切った。
ホテルへ帰るタクシーの中で、何のためか分からぬ涙がこぼれにこぼれた。
感動でも惜しさでも安心でもない。もはや私一人ではここまでこれなかった。
筆舌に尽くし難い努力と苦しさの果ての果てのまだその果てに見えたものは、私は一人ではここまでこれなかったという事実だった。
私は色々な人に支えられてここまで来たのだ。
家族や友人の支えなくしては、絶対にここまでこれなかったのだ。
そしてこのような努力をした私を超えて行く者たちがいるとすれば、私は心から、本当に心の底から、その者たちに単純な尊敬を向けるであろう、そう思った。

次の日、学生時代によく行った石狩の海の丘の上にある駐車場を訪れた。海は北海道の夏の光を浴びて青く、果てしなく青かった。
海から駐車場を越えて吹き渡る風に、夏の北海道の緑の草原が、日の光りに白く波打って輝き揺れていた。
その風景の中で、私は、この世界はなんと美しいのだろうと思った。
海、空、大地、光。私はこんなにも美しい世界に生きているのだ、人々が生きるということは、ただそれだけでこんなにも美しいものなのだ、と思った。