2021年7月5日公開
緩やかな仏教文化の世界
皆さん、お寺は伝統文化そのものです。しかも、地域に密接に根ざした、生きた伝統文化そのものです。
文化と言うと、皆さん、思い起こされるのは、ピアノであったり、油絵などの西洋絵画であったり、バイオリンであったり、或いはアニメのキャラクターの服を着るコスプレをした若者のイベントであったり、を思い起こす人は多いと思います。
浄徳寺があるのは田畑に囲まれた唐院なのですが、この古い地域にはピアノを弾く人もあまりいなければ、油絵もあまりないし、バイオリンを弾く人もいない。
私はこの古い地域は文化的に不毛ではないか、とずっと思ってきました。
この古い地域には何もない、とずっと思ってきました。
今、私は唐院という古い地域でお寺の仕事をし、一方で司法書士の仕事をしながら都市部に住んでいます。
なので、古い地域と都市部にまたがる生活をしている訳です。
ちょうど2つにまたがって生活をしてみて分かるのは、かつて唐院は文化的に不毛だと思っていたけれど、実は、この古い地域は、全く文化的に不毛ではないということです。むしろ、新しい文化は確かにあまりないのですが、古く、数百年を超える伝統に根ざした、非常に濃密な仏教文化、考え方があるということです。
西洋文化という点では確かに不毛なのですが、仏教文化という点では、極めて濃い文化がある、今では、その様に考える様になりました。
浄徳寺のこと
今、どこを見てもコンビニが増えてきた、どこを見ても、コンビニが目に入ります。コンビニの数はこの20年で急に増加し、今や全国で5万店を超えているそうです。一方お寺の数は、実は全国で7万7000寺あり、実に今でもコンビニより多い状態です。
浄徳寺も、本堂は当初のままの姿を残しており、築300年を超えています。
320-330年位だと思います。今年、明治、1868年から150年と少しです。
明治政府が成立してから150年と少しと言えると思いますが、浄徳寺本堂の築が320年位ですから、明治政府が成立してからの時間の倍以上、浄徳寺の本堂は今の姿で建っている訳です(勿論過去に修理はされています。)。
加えて、本尊の阿弥陀如来座像、両脇の観音、勢至菩薩は、言い伝えによると鎌倉時代からのものです(しかし私は江戸時代ではないかと思っています。)。
非常に美しく、金色の極楽浄土世界を映し出しています。感性に何とも言えない共感をよびおこされます。
最も古いと思われる仏さんは、平安時代末期のものと伝えられ、色々な縁や時代を経て、現在浄徳寺に安置されているのですが、こちらもとても優しい金色を放っておられます。
主観では解らなかった文化
ある時に、何年か前、司法書士の仕事で、東京から奈良に移住して来られたとある職業のおじいさんとその娘さんと知り合うことになって、2人ともお寺が好きということで、一度お寺を見せて欲しいということで、浄徳寺に来られたことがありました。
で、私が本堂を案内したのですが、本堂に入った瞬間に娘さんが驚いて突然言わはったことがありました。
「これ、いったい何体あるんですか?」
私は最初、娘さんの質問の意味が分からなかったんです。
「はあ?何体って言われても…」と言っているうちに、「あふれんばかりじゃないですか」と娘さんの方が言わはったんです。
その時、私は「はっ」と気付いたんです。
「そうか、もしかしたら、新しい所や明治の混乱期や争いで失われてしまった所には、仏像、仏さんがまとめて、こんなにもないのか。」浄徳寺には大小入れて14-15の仏さんかおられます。
私は寺で生まれたから、生まれてからずっとこの状態だったので、これが普通だと思ってましたけれど、この時、これは普通の状態でない、と初めて気づいた訳です。
私の知る限り、県内の古い地域、一見何の変哲もない古い地域のお寺には、あふれんばかりの古い仏さん、仏像が安置されていますが、これらは普通の状態ではないということに、初めて気づいたんですね。
私はかつて、奈良に修学旅行生がたくさん来て、観光客もたくさん来て、東大寺や薬師寺等に来て、「何しに来はんのかなあ、お寺見て、何が面白いんかなー」と思っていました。
しかし、その理由は、美しく、他の場所にはない独特の文化、特に奈良県の人には、普通すぎて何とも思わないけれど、他県から見たら独特の仏教文化と仏教美術があって、それを見に来られんねなあ、と40歳頃にして初めて思った訳です。
そして、観光地にはなっていないけれど、一見何もないように見える古い地域には、非常に高度で濃密な仏教文化が存在しています。
地域に根ざした浄土世界
寺の月参りをしていれば分かりますが、唐院の檀家さんの家には仏壇があります。
仏壇は、お寺によって違いますが、見方によれば、お経のうち、極楽浄土世界を金箔で表現した、かなり高度な美術品でもあります。
あまり言えませんが、家によっては、極めて精巧な彫りと、まぶしい金箔、極彩色の欄干で輝きを放っています。
家の縁側から差す日の光りの角度によって、金箔は優しい光を放ちます。
外からは見えませんが、お寺があり、村中の家に浄土世界を表した仏壇があります。一軒や二軒の話ではありません。村内100軒とか150軒の話です(勿論全ての家にということではありません。他のお寺も入れた推定です。実数はもっとかも知れない)。
これは、唐院は、見方によっては、一つの独特の文化圏なんです。金色にまぶしい浄土世界を表した文化。
今、私は唐院と都市部にまたがって生活をしていますが、寝起きしているのは、都市部の中です。
私もそうですし、若い世代は仏壇や神棚のない家に住んでいる人も多いと思います。
私が子供の頃、ごはんを炊いたら、仏壇に供えて、鈴をチーンって鳴らしてくるのは、子供の仕事でした。
しかし、家に仏壇がなければ、先祖に手を合わせることも、ごはんを供えることも、いただきますして食べることも、少なくなります。
仏壇がなければ、先祖にごはんを供えることができない。
自分の生命が連綿として先祖から続き、全ては生命の連鎖であり、米や魚や肉は、命を頂いているのであり、単なる食材ではないということを、子供に習慣的に教えることができない。これは少し困ったなあーと思っています。
最後に
今日、地域への愛着と誇りということで、お寺と唐院について話をさせて頂きました。
今後どのように憲法や法律が改正されても、どれだけ科学技術が発達したとしても、どれだけ世界の片隅であったとしても、多くの人々がどれだけ古い地域に見向きもしなくなっても、世の中がどのように変っていっても、私は、唐院は、愛着と誇りを持つべき文化を持っている、こう思う訳です。