第七話 後半 離れの床柱のこと

2021年7月5日公開

離れの床柱のこと

家を新築するというのは、人生で一度あるかないかのめでたい事である。
建売を買うにしても、注文住宅を建築してもらうにしても、慎重に取り組まなければならない。
昔と違って今の家は、工場で製造された壁や床やキッチン等が短期間で巧みに組み立てられ、家電や自動車と同じレベルの完璧な工業製品である。
そして、建築主の多くは、家を新築して、いざ引渡してもらう前に、床やドアの傷や、壁紙が浮いている箇所、タイルの目地の仕上げを徹底的にチェックすると思う。
一種の極端な意地悪をもってして検査する人もいる。
そして、傷や不具合が発見された場合は、業者によって完璧なレベルで補修され、床材の傷などはそれがあったことさえ分からない様に直してくれる。
逆に細かな瑕疵でも完全なまでに補修されなければ、完全に補修されるまで、それ相応のクレームをする建築主も多いのではなかろうか。

柱と床の継ぎ目

寺の東側に離れがある。
三十年位前に、昭和五十年代の後半に、古くなって建て替えられたものだ。
離れは和式で床の間の付いた六畳とその奥の四畳半の二間である。
その離れは、祖母が、築造の時から亡くなる迄の約三十年間を使っていたものだ。

祖母が亡くなった年の二月、寺に縁のある者でこの離れの片づけをしていた時に、私は、床間の光沢ある柱と床が接触する部分が大きく切り取られ、その部分を別の木で継いで不恰好に埋められているのに気が付いた。
本来その床柱は、離れを代表する美しく高価な装飾物である。

「これどうしたん?」と聞くと、あるおばさんが笑いながら、
「ああ、それ。それヨシキリツバメの息子、あほやから、床柱の寸法間違えて切りよってん。」
と言った。
ヨシキリツバメの息子という人は、同じ村内の大工で、離れ築造の手伝いをしていた男だった。
「それで?」
「それだけ。」

不完全を許容する

ああ、何とおおらかではないか。
仮にも寺の離れの高価な床柱を台なしにして、結局のところ、「あほやから。」で済まされているなんて。
当時関係者がその男に床柱の入れ替えを求めた訳でも弁償を追った訳でも、出入り禁止にした訳でもない。
多分三十年前、この柱に接して、関係者は、一時的に困り果て、怒りはしたのだろうが、その大工さん本人の優秀とは言えない能力、家の少し気の毒な状況、それでも本人の将来に傷を残してやってはいけないことを考慮して、皆は最終的に「どもしゃないなあ。」で済ませたのだろう。
そもそもこの頃の家と言うものは、特別なものを除いて、不完全な人間の作る不完全なものという認識があったのだろう。

三十年前、旧村では生まれる子供や新しく来る人が多くあった。
しかし、この大工さんはいつの間にかいなくなり、その家も別の人が移り住んで、消えてしまった。