第八話 前半 Identity

2021年7月6日公開

Identity

私が初めてIdentity(アイデンティティ)という言葉を知ったのは、高校の英語の授業の時であったと思う。
このIdentityという単語は、その時に使っていた英語の辞書には、
①自我同一性
とか
②自分が自分であること
というような意味が載っていたと思うが、私はこの意味が全く分からなかった。
自我同一性。全く意味が分からない。自分が自分であるということ。これも全く意味が分からない。
私が何者か。全く考えたことがなかったし、高校時代以降も考えることも、その必要性もなかった。
最近、といっても今これを書いているのは平成30年も末のことなのであるが、NHKの番組で「ファミリーヒストリー」というものをよく見るのだが、この番組は有名人と一緒にそのルーツを探るというものである。
古くないものであれば戦前位迄遡るものもあるし、古いものであれば江戸時代を越えて戦国時代まで遡るものもある。
私は、この番組を見て思うのは、有名人たちもまたおそらく都会に住む現代の一般の人たちも、多くは自分のルーツというものを知らないものであり、人とはやがて自分のルーツを知りたくなるものだということである。
そして、先祖たちが、どの家も大変な思いをして、明治、大正、昭和、平成を生き抜いて現在に至っているということである。

無意識で感じていた先祖との繫がり

私はこれまでIdentityという英単語の意味を理解できないでいた。
自我同一性とか自分が誰かなど全く考えもしなかった。
その理由は、ファミリーヒストリーに出ている有名人たちとは全く逆であろうと思う。
私は奈良の片隅の唐院という小さな村の浄徳寺の者であり、父母は唐院の浄徳寺であり、祖父母は唐院の浄徳寺であり、曽祖父は唐院の浄徳寺であり、その上の代は唐院の浄徳寺であり、そのさらに上の代も唐院の浄徳寺であり、それで江戸時代の末期か明治の初め位迄は至る。それ以前は分からない。
寺の仏間にある阿弥陀さんのもとにある先祖たちの位牌も、仏壇前に置いてある過去帳からも常にそのことを示している。
そして子供の頃から、唐院の子供たちは大体、ご飯を炊いたら仏壇に供えてチーンと鳴らしてくる習慣があって、或いは誰かからお供えやお菓子を頂いても、仏壇に供えに行ってチーンと鳴らしてくるのが習慣であり、夏の盛りに西瓜を貰った際には、子供たちは早くそれを食べたいのだから、仏壇に走って行って一瞬供えてチーンと鳴らして、走って今に下げて持って来て「これこれ!」と言われるのが子供の仕事なので、自然と先祖とのつながりのことを無意識の内に意識している。

親族から聞く先祖の話

また、もし誰かが亡くなっても葬式から、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、四十九日、百日日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、二十三回忌、五十回忌位迄、大体法事で親族と顔を合わせ、先祖の話を、人は死ねば仏になるのだから、仏さんになって阿弥陀さんの所に行った先祖の良い行いの話を聞いてきた。
だから私は誰か、などという問いには唐院の者だとか、唐院の何某だとしか答えようがなく、私は唐院の何某以外の何者でもありえない。
これは特殊な事例ではなく、だいたい古い村の家は同じような習慣を持っており、自分が何者かなんて、とりあえずは考えようがない。
養子に入ったり、行ったりしていても、「生みの親より育ての親」なのであり、そこの家の子供はそこの家の子供なのだから、そこの村の子供はそこの村の子供なのだから、細かいいきさつなど問題にならない。私は唐院の宗田なのだ。それ以外の何者でもない。 

先輩の故郷

しかし、思い起こしてみると、この問題に関わると思われる事例に私は二度出会っている。
一つ目は、出身地(奈良)、大学の地(北海道)、就職した会社のある地(東京)がたまたま一緒だった男の先輩のことである。
といっても会社は別であったが。高校も大学も年齢的にはいわゆる入れ替りであり、私は4年で会社を辞めたのだが、会社員の時に、同郷ということで面識を作ることになり、高校時代のこともよく話をした。
先輩の実家は奈良の中部のかなりの高級住宅街であり、先輩は子供の頃から高校卒業までそこで過ごした。
その高級住宅街が先輩にとっては実家であり、途中迄よく帰省していたということだ。
ある年の夏に、私は先輩に「夏休みは実家に帰省するのですか。」と聞いたら、先輩は特に変わった様子はなく、「親の実家は九州なので親が会社を定年になり、家を売って、親は九州に戻った。」ということだった。
私はこの時、先輩の表情に特段変わった部分を感じはしなかったが、私は内心驚いていた。

先輩には、生まれ育った故郷に帰る家が無くなったのだ。
親に会いに九州に行ったとしても、そこは先輩にとって余り縁もゆかりも思い出も特になかった場所なのだ。
そして、先輩は大企業に勤めた人が大抵そうするように、東京かその近郊に家かマンションを買って子供を育てて行くのだ。
それは都会的で都会的に豊かで、それはそれで良いのだが、この先輩のIdentityとは、故郷とは、ルーツとは何になるのだろうか。
人それぞれであり、都会は豊かであり、先進的なのであるが、奈良の片隅に今は戻っている私にとって、私の感覚からすれば、非常に驚いたのだ。

アイデンティティとしての大学

もう一つは、大学のずっと先輩のことで、この方もまた関東、非常に優秀だと聞いていた人で、東京のある所で働いているのだが、私はその人を知っているが、その人は特に私を認識していないと思われる。
共通に所属していた会は、毎年1回会報を発行していて、在学生のみならず、会のOB、OGにも会報を送ってきてくれていた。
何年か前、この会の教授が定年で退官になることになり、会報の発行も最後になるということで、私も寄稿したのだが、その優秀な先輩もまた、文章を寄稿していた。
その寄稿文の中で私の目に留まったのが、

それは物を投げればほとんどの場合当たるのは東大出身者と言われるある街の中で、私は北大の出身であり、私の社会人としてのアイデンティティとは北大なのである。

という意味のことを書いておられた箇所である。
この文章は読む者によって色々な意味に取ることができ、従って様々な解釈も可能なのであるが、私は北大には非常に愛着を持っているし、大変に楽しかったと回顧することもあるのだが、私は私自身のアイデンティティを北大だと思ったことはない。
自分は何者かという問いに、北大出身者だと考えた事は、一度もない。
もし私は就職した後の会社員としての人生が長く続いていたとして、自分は北大出身で、その学閥に属していると万が一考えように至っていたとしても、自分のアイデンティティーを北大に求めることはなかったと思う。
時代の変化の中で、もう学閥は死語だと思う。

日本における根本的な習慣とアイデンティティ

皆さん、今、2つの例の話をさせて頂きました。
地方から都会へ出て就職することは私の若い頃、20代の時代、2000年位迄の時代は一つの成功体験でした。
そしてそのまま時代が進んで、親のいなくなった故郷の墓じまいが進んでいると聞きます。
人はそれぞれであり、それぞれの生活と環境があり、その中から墓じまいをすることは、全く自由の範囲です。
しかし、そのことは、陰で一つの問題を投げかけていると思います。戦後これ迄日本人の多くは、都会に働きに出てきました。
その陰で、親の死後の墓じまいの中で、人々の多くは自らのルーツというもの、自らのアイデンティティというものを失おうとしているのではないでしょうか。
そして、もしかしたら自らのアイデンティティが分からないという問題は、もしかしたら人によっては、思っている以上に大きな問題かも知れないのです。そのことは、先祖供養という日本の根源的な習慣を失うことかも知れないのです。
いや、反対だ。先祖供養をしなくなるから自らのアイデンティティーが分からなくなるのかも知れない。
そのことによっていつか困るのは、お寺でもなく土地に根ざした共同体(コミュニティー)を失うことになる人々の方かも知れないのです。

地に足をつける

いつ時代が変わるか、どの様に変る分かりません。
だったら、何時でも帰ることのできる故郷は、どのようにか知恵を尽して、持っておいた方が良いかも知れません。
宮崎駿の『天空の城ラピュタ』の中で、かつて天空に強力なテクノロジーと軍事力を持った人工島を浮かべて地上を支配し、滅んで地上に下りた王族の末裔の女の子が「今は、ラピュタが何故滅びたか、私よく分かる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。土に根を下し、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀そうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」という場面があります。
子供の頃に見たこの映画のこの言葉は今も私に残っています。
人間は土から離れては生きては行けない、とまでは言わないが、人によっては、土から離れたら、生きづらいのかも知れない。
私が奈良に戻って来た様々な理由の奥に、大都会の物質的な繁栄とは裏腹に、空中庭園の上で生き、子孫を継いで行くことへの不安定さを感じたからかも知れません。子々孫々土地を離れ、大都会の中で競争して、働いて生きて行くということは、資産家でない限り、よっぽど能力のある者でない限り、大変だ。
そして、つまる所、食べ物を得るために働き続けなければならない状況は、もしかしたら、35年の住宅ローンという商品よりも重い負担なのかも知れません。
食料を得るための競争は、子々孫々35年では終わらない。
だから知恵を出そう。農村を保持するために皆で知恵を出そう。
知恵を出し合えば、やるべき事でやれることは随分あると思う。
やれることで簡単にやれることは随分あると思う。